「もう1つの身体」での活動を通じて制約から解放され生きられる社会へ
人間が「もう1つの身体」を獲得するロボットのアバターは、肉体や空間の制約から人を自由にすることを可能にする。慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科の南澤孝太教授は「2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」という目標に向けて、研究開発プロジェクトを率いている。アバターがもたらす意義や、アバターを通じての活動を可能にする技術とその成果や意義、将来への展望を聞いた。
※JST広報誌『JSTnews 2023年12月号』に掲載された、目標1の南澤孝太プロジェクトマネージャーの特集記事を転載※
分身ロボットを遠隔操作 外出困難者が働けるカフェ
2021年、東京・日本橋に「分身ロボットカフェDAWN ver.β」がオープンした。ここは、さまざまな理由で外出が困難な人たちが分身ロボット「OriHime(オリヒメ)」を遠隔操作し、従業員としてサービスを提供する実験カフェだ。障害で寝たきりだったためにこれまで働く機会を得られなかった人や病気療養中の人、家族の介護で仕事を辞めざるを得なかった人、高齢の人などが、自宅にいながら離れた場所で仕事ができる、これまでにない働き方を実現した場として注目を集めている(図1)。
この分身ロボットカフェは、JSTのムーンショット型研究開発事業の実証実験の場の1つとして活用されている。この事業は、日本発の破壊的イノベーションの創出を目指し、従来技術の延長にない、より大胆な発想に基づく挑戦的な研究開発(ムーンショット)を推進する国の大型研究プログラムで、健康・環境・AI・気象制御・量子コンピューターなどの今後特に重要となる分野について、チャレンジングな9つの目標を掲げて研究開発を進めていくものだ。
その中の目標1「2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」というプログラムの中で「身体的共創を生み出すサイバネティック・アバター技術と社会基盤の開発」のプロジェクトが進められており、分身ロボットカフェがその実証実験の場となっている。「ネットワーク化されたテクノロジーと人がつながった現代において、新たな可能性を示した成果の1つです」と語るのは、プロジェクトマネージャーを務める慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科の南澤孝太教授だ。
学生時代にバーチャルリアリティー(VR)の研究室に所属していた南澤さんは、コンピューターで作られた体験をユーザーにリアルに感じて欲しいという思いから、触覚技術(ハプティクス)の研究を始めた。実際に触覚を伝えるシステムができた時に「誰かが触覚情報を作る必要がある」と考え、触覚をデザインする「ハプティック・デザイン」の普及活動をスタートさせた。手先から身体全体を使った経験へと対象を徐々に拡大させていき、現在は人間が身体を通じて獲得・蓄積しているさまざまな経験がデジタルテクノロジーとつながった時、どのように経験を拡張していけるかを追究している。
経験をデジタル化して保存できるようになれば、装置を通して経験を他の人と伝え合い、シェアすることができる。「これによって、今の自分の肉体では難しいことにも挑戦できるかもしれません。身体を通じて得る経験とテクノロジーを組み合わせ、できないことをできるようにすることを目指しています」。そのような世界における、遠隔操作できて感覚を共有できる分身ロボットや、バーチャルな世界で自分の分身として存在する3D映像アバターなど、機械工学や通信・情報伝達技術が実現する「もう1つの身体」「新しい身体」がサイバネティック・アバター(CA)なのだ。
人の技能や経験を活用したい6グループでCA技術を開発
南澤さんはプロジェクトの立ち上げにあたって、人間がCAを日常的に身にまとうようになり、ヒューマン・ビーイングならぬ「サイバネティック・ビーイング」となった世界において、人間の感覚や生活はどう変化し、どのような社会課題を解決できるのか、という問いを立てた。そこで見いだされたのが、障害などのさまざまな事情で外出や移動が困難な人の制約を取り払う、というミッションだった。
近年の事例では、新型コロナウイルス感染症のパンデミックで外出や人との触れ合いが困難になったことも同様の制約と言えるだろう。こうした制約を「もう1つの身体」で突破していくことが大きなテーマとなった。加えて「もう1つの身体」を通じて、複数の人の経験やスキルを組み合わせたり、人とスキルをシェアしたりできる時代を想定し、そのような経験知や身体知、技能のデジタルプラットフォームを構築することも、プロジェクトのミッションとした。
同プロジェクトでは、これらのミッションの下にテーマを6つ設定し、各テーマに沿って、①認知拡張研究グループ②経験共有研究グループ③技能融合研究グループ④CA基盤研究グループ⑤社会共創研究グループ⑥社会システム研究グループを形成した(図2)。グループが一丸となって、人々が自身の能力を最大限に発揮し、多様な人々の多彩な技能や経験を共有・活用できるCA技術の開発に取り組んでいる。
拡張する「自分」という意識 経験や技能の共有・統合も
グループ①では、人間が自分の身体とは別の身体を得たときの、意識の変化という身体性と社会性の「認知拡張」について研究している。VRやメタバース上で、アニメ調のかわいらしいアバターを使うと、言動もかわいらしくなることがわかっている。南澤さんは、この現象を積極的に活用することで、より社交的な自分など、状況に合った姿を引き出せると考えている。「本来自分の中にありながら、上手く表出できていなかった能力を、アバターを適切にデザインすることで発揮できるようになるかもしれません」と説明する。
グループ②は「経験拡張」「経験共有」を担当している。デジタルネットワーク上に人間の感覚や経験が流通するようになれば、自分の経験を複数のアバターへコピーしてリンクさせることで、自分が同時に複数の場所に存在し、それぞれが別の行動をすることも可能になる。この「並列化アバター技術」に加えて、各アバターが別々に経験したことを1人の自分の経験として統合する、つまり時間と空間を超えて存在を拡張させていく研究だ(図3)。
グループ③は、複数人の技能を組み合わせる「技能共有」「技能融合」研究で、2人で1つのロボットを操作して連携協調するシステムを開発した。このシステムを用いて2人で一緒にブロックを積む作業を行うと、それぞれが得意な操作を活かし、苦手なところを補い合えるため、1人で操作するよりも楽に作業できるという(図4)。実際に体験できるシステムを開発したことで、研究者自身もCAの意義や効果を実感することができた。「現在はこの理解を基に、脳科学や認知科学の研究者も交え、起きた現象を読み解くための基礎研究も進めています」。
倫理・法・社会的課題も重視 守るべき権利や責任など検討
南澤さんはグループ④で、各グループの技術を統合し「触覚ジャケット」による身体感覚の共有をはじめとした、多様な人、多数のCAとの間で身体感覚を双方向に伝送する基盤の構築を進めている(図5)。これまでの経験は、常に自分の肉体に紐(ひも)づいていたが、コロナ禍で急速に進んだオンライン化によって、その場に自分の肉体がなくても、何らかの働きかけはできると多くの人が認識した。「これを拡張していくと、肉体がその場になくても経験を積めるようになり、外出困難者でもアバターを使って社会との接点を持てるようになるのではと考えました」。
この研究を社会実証する場が冒頭の分身ロボットカフェである。グループ⑤では、カフェでの実証実験を通して多様性と包摂性を拡大するCA社会の共創的デザインを探っている。操作者の中には「アバターとして働いている自分」の人格が形成されていることや、そこに並列化アバター技術を導入しても、すぐに複数アバターを使いこなせることがわかってきた。また、AさんとBさんが1体のアバターで作業したところ、協調を通したせめぎ合いの中で、Cという新たな個性が誕生した。「個性の融合については数理的な分析も進めています」と南澤さんは語る。
また、操作者が「理想の自分」の姿を持っていることも判明したので、バーチャルな世界で1人1人の希望に沿った姿で働いてもらう実験を行った。性別を変える人や人間ではない姿を選んだ人もいたが、OriHimeで働く時よりも解放され、リラックスした様子が見られたという。「CAの役割は、肉体的な制約を取り払う段階と、潜在的な個性を発揮する2段階があるのかもしれません。この実験結果は、今後私たちがサイバネティック・ビーイングとなる時代に向けた1つの先例となるでしょう」と総括する。
倫理的・法的・社会的課題面を重視しているのも、このプロジェクトの特徴の1つだ。CAを通じて人の技能を他者が活用したり、1体のロボットに複数の人が「相乗り」して作業を行ったりする場合には、さまざまな制度的・倫理的な課題が生じてくる。例えば、ロボットのアバターを海外から遠隔操作して日本に入国する場合、肉体は入国していないが、アバター越しに犯罪行為もできてしまう。この場合、日本で裁けるのか。そもそもロボットアバターでの入国は、入国にあたるのか。このようなことも、検討されていく必要がある。
新しい技術による恩恵がその社会の法律や労務制度に抵触したままであれば、人と社会に調和した社会基盤として育つことは難しい。そこで、人々が日常的にCAを活用する社会における倫理と社会制度のデザインを探求するグループ⑥を設置した。守るべき権利や責任の所在、経験・技能のデータの流通や管理なども含む社会的な課題について、法学・社会科学・科学技術社会論などの多角的な方面から検討を進めている。
成長を実感できる未来へ CAの応用範囲は無限大
南澤さんは、あくまで人間の経験を重視している。「たとえ生産性が上がるとしても、完全なAI化は目指していません。生産性だけを追求すると、人間の存在意義が失われるからです」。人間は経験を蓄積し、価値観や世界観を広げている。社会を構成する一員として、社会へ主体的に関わるところに、人が生きる意味がある。だからこそ主体的に行動することによって成長し、成長した自分が社会に対してより新しい創造性を発揮できることを南澤さんは重視している。そして、その成長する過程にCAが入っているべきだという明確なポリシーを持っている。
南澤さんが目指すのは、CAを通じて誰もが主体的にしたいことを行い、自分が成長する実感を得られる未来だ。実際に、分身ロボットカフェで働き始めたことで、家族から明るくなったと言われた、という声が多く聞かれたという。また、難病の発症により移動困難となった元バリスタが、愛知県にいながら東京のカフェでバリスタとして働き、知識や経験を同僚に伝える役割を果たしてもいる。CAのおかげで、やりたかったことを諦めずに済み、喜びを感じている人々が増えているのだ。
22年には、日本工芸産地協会と共に、CAと工芸の融合による新しい価値伝達に向けた取り組みもスタートさせた(図6)。「伝統工芸のワザの裏にあるプロセスや技術を、いかに魅力的なストーリーとして伝えるかというところにデジタル技術を活用できればと思っています」と南澤さんは新たなテーマへの展望を語る。
CAの応用範囲は無限大だ。将来は災害救助やインフラメンテナンスなど、さまざまな専門知識が必要とされる場で、CAへ専門家たちが「相乗り」することで、協調して課題に立ち向かっていく展開も期待されている。
(TEXT:桜井裕子、PHOTO:石原秀樹)
関連情報
■ムーンショット目標1
「2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」