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沖縄から世界へ ─ OISTでムーンショット目標に挑む2人 高橋優樹×宮崎勝彦

破壊的イノベーションの創出を目指し、従来技術の延長にない、より大胆な発想に基づく挑戦的な研究開発を推進する国の大型研究プログラム「ムーンショット型研究開発事業」。沖縄科学技術大学院大学(以下、OIST)には、その制度に採択された2つの研究プロジェクトがあります。今回は、その2プロジェクトに携わる高橋優樹プロジェクトマネージャー(以下、PM)宮崎勝彦PMにお話をうかがいました。
片や物理学、片や脳科学・生物学ということで、同じ大学に所属しながらも2人は初対面だったそう。2人の専門家・研究者が語る、人類の未来と幸福の実現、「ムーンショット型研究開発事業」の現在に迫ります。



高橋優樹:沖縄科学技術大学院大学(OIST)量子情報物理実験ユニット 准教授。サセックス大学、東京大学、大阪大学を経てOISTに着任。ムーンショット目標6のプロジェクト「イオントラップによる光接続型誤り耐性量子コンピュータ」のPM
宮崎勝彦:沖縄科学技術大学院大学(OIST)神経計算ユニット グループリーダー。ムーンショット目標9のプロジェクト「楽観と悲観をめぐるセロトニン機序解明」のPM


「これはやるしかない」ムーンショット型研究開発事業参加の経緯

高橋:はじめまして。

宮崎:はじめまして。お会いするのは今回が初めてになりますね。高橋先生はいつからOISTにいらっしゃるのですか?

高橋:2020年ですね。今はLab4(第4研究棟)で研究しています。

宮崎:私の研究棟はLab1(第1研究棟)なので、あまり顔を合わせる機会がないですね。でも(私がムーンショットに採択される前に)OISTのニュースで、ムーンショットに参画された方がいるということを知っていたので、すごいなと思っていました。

高橋:私の参加しているムーンショット型研究開発事業は目標6で、その目標が「2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現」という内容です。我々の研究はイオントラップと言われるハードウェアを使った物理の研究ですが、日本で大型の誤り耐性型量子コンピューターの実現に向けた本格的なプロジェクトが始まると伺い、私だけじゃなく、イオントラップに関係する日本の研究者みんなが「これはやるしかない」と意気込んでいたと思います。

宮崎:私が参加しているのは目標9ですね。「2050年までに、こころの安らぎと活力を増大することで、精神的に豊かで躍動的な社会を実現」というテーマです。これまでOISTで行ってきたセロトニンの研究でこのプロジェクトに貢献できると思い応募しました。


イオントラップに入射するレーザーを確認する高橋PM


セロトニン研究のデータを確認する宮崎PM

─それぞれの領域でとても困難な高い目標だと思いますが、どのようなモチベーションで研究されているのでしょうか。

宮崎:セロトニンは心の状態に関与する神経修飾物質の一つで、精神疾患とも関連します。例えば、うつ病治療のためにSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)が使われることがありますが、この薬には脳内のセロトニン濃度を増やす働きがあります。しかし、なぜそれで、うつ病が改善されるのか、その仕組みは実はあまりよくわかっていません。私たちのこころは確かに複雑であり目に見えるものでもありませんが、一方で測ることが可能な神経活動は、ある程度のことを私たちに教えてくれます。環境に適応しながらさまざまな意思決定を行う脳の仕組みを神経科学の視点で理解していくことで「心の強さ」「生きる力」の源を解き明かしたいという思いがあります。

高橋:誤り耐性型汎用量子コンピューターを実現するという大目標はあるのですが、もっと根源的には量子的な物質や対象をどこまで人間がコントロールできるかということを突き詰めています。そのために、どこまで正確に、そしてどこまで精密に制御できるかという技術を日進月歩で向上させている。それが基本的なモチベーションになっています。

宮崎:私の研究では「辛抱強く行動を待ち続ける」ことにセロトニンが関与しているということが明らかになってきました。もともとセロトニンの働きは「行動の抑制に働いている」などの説が有力とされてきました。この研究は従来の仮説とあまり相容れず学術誌のエディターにはね返されてしまって、特に最初の数年間は苦戦しました。

高橋:私の場合は基本的に問題にぶつかったら、その問題を分解して、1つずつ潰すしかない。潰していけば必ず前に少しは進めるんですね。地道にやる限りは前進できるだろう、と。思っていたようにいかないことだらけなので、最初からそれを織り込んで辛抱強くやるというメンタリティーで研究を続けています。

─ムーンショット型研究開発事業のようなイノベーティブな取り組みが、日本で必要な理由についてはどのようにお考えでしょうか?

高橋:我々の分野でいうと、近年、米国や欧州では各国主導のプロジェクトが大型の予算で立ち上がっています。ムーンショット型研究開発事業が始まる以前、日本でもプロジェクトはあったのですが、規模が足りていなかった。量子コンピューターに関して言えば、ムーンショット型研究開発事業のような規模の大きな取り組みが必要だったと思います。半導体や素粒子といった従来の物理の研究だと、この物質、この分野、というように研究するモノが先に決まっている。でも量子コンピューターはその研究対象にするモノが決まってないんですよ。だからモノが決まっていない包含的な1つの目標の下で、分野の違う研究者を寄せ集めるということが重要。そういう意味ではムーンショット型研究開発事業はとても理にかなっていると思います。

宮崎:個々で研究すると1 つのテーマに集中できるという利点もありますが、それをどう発展させていくか、他の研究者はどんなことをしているかということがなかなか見えてこない。ムーンショット型研究開発事業では一見「え、ほんとにそんなことできるの?」といった壮大なテーマをまず据えて、たくさんの研究者の議論によって具体的な方向性をみんなで模索していきます。このような挑戦的な取り組みはこれからの日本の科学技術の発展にとって大きな価値があるのではないでしょうか。

沖縄から世界へ ─ OISTの魅力とは?

高橋:宮崎先生は長らくOISTで研究を続けられてきた中で、この20年でどのような変化がありましたか?

宮崎:私は前身の組織(OIST-IRP:沖縄科学技術研究基盤整備機構)からなので、2004年の10月から参加しています。当時はOISTが一体どう成長していくのかあまり見えていなくて、「世界最高水準の研究機関に」という目標にも正直なところ全く実感がありませんでした。だって小さなプレハブの仮設研究施設でのスタートでしたから。沖縄本島東海岸の具志川市(現うるま市)の工業団地の中にその施設はあったんですが、当初研究ユニットは4つ。建物内に1つだけあるラウンジでみんなでお昼を食べたり、金曜日には飲み物やお菓子を持ち寄って研究紹介をしながら話をしたり、とてもアットホームな雰囲気でした。そこから始まり段々研究ユニットが増えて、特に恩納村に移ってからの急速な成長には目を見張るものがありました。次々と立派な研究棟が完成し、今ではもう100近い研究ユニット(2023年1月現在約90ユニット)を抱えた大きな研究組織となって、すごいなという思いと共に感慨深い気持ちもあります。

恩納村の第1研究棟にて。宮崎PMが所属するOIST神経計算ユニット
(2010年5月撮影・提供:宮崎PM)

高橋:OISTは日本の大学の常識外にある大学ですよね。1つは国際性という面。日本の大学と比べた時に、世界中から人が受け入れられるようなインフラや文化が最初からデザインされています。もう1つは研究の立ち上げに対する支援が他の大学と比べるとけた違いにあることです。OISTにお世話になって僕らも研究室を立ち上げることができているし、大変恵まれた環境です。

宮崎:高橋先生はどういったきっかけでOISTにいらっしゃったのでしょうか? 会議などでOISTに来られたことがあったんですか?

高橋:それはなかったんですよ。だから面接で来た時が初めてで、ここは何なんだろうと思ってびっくりしましたね(笑)。でも当初からこんなすごいところに来たいと。とても印象は良かったです。

恩納村の綺麗な海が見渡せるOISTのメインキャンパス

宮崎:私は海外の方と英語でコミュニケーションを取るのがすごく苦手だったのですが、こういう環境に置かれると無理やりでもしないといけないし、研究室のセミナーも必ず英語です。この環境で鍛えられたことで、今では海外の学会に参加しても自分の英語が拙いなと思ってもひるまずとにかく話します。あまり物おじせずに済むようになりました。

高橋:日本の大学に外国人が来ると分離しちゃう傾向があるんですよね。やっぱり日本語がベースだと、外国の方々はなかなか馴染めない。OISTは英語が基本なので、海外から来た人もアットホームなムードで研究ができる。雰囲気もなんとなく海外の大学に似ています。

海外からの研究者も参加するグローバルなチーム。高橋PM率いる量子情報物理実験ユニット(提供:高橋PM)

宮崎:日本の一番南の県だけど、国際空港もあって、特にアジアに出ていくには非常に近い。台北だと1時間ちょっとで行けますし、北京やその他の東南アジアの都市への便も多く、世界に向けて移動するという面で地理的にも便利な場所だと思います。

高橋:OISTは沖縄に貢献するというミッションがあって、大変な努力をされていると思います。僕自身はそこまで至っていないな、というのが正直なところで。今は自分のことをやるので精一杯。ただOISTの存在感というのは、沖縄の中で年々増していますよね。

宮崎:そうだと思います。コロナでできなかった時期もありましたが、それまでは、OISTの一般公開を毎年実施していて、その際は多くの人が訪問してくれていますね。

高橋:ゆくゆくはここの卒業生が地域に還元してくれたり、我々がこの地域の教育に貢献できたりするといいですよね。

OISTのキャンパス一帯にはたくさんの緑が

「楽しめなくなったら終わり」若手研究者たちに伝えたい想い

─ポスドクの頃や研究職に就き始めた頃、ご自身で考えていた目標はどんなことでしたか?
 
高橋:我々の研究はどちらかというと宇宙の真理を見つけるという類の研究ではないんですよ。量子コンピューターの原理はもうすでに確立されていて、それに最終的な応用もわかっている。でも、基礎と応用をつなぐ道筋がわかっていない。だからどの道筋が一番効率的で一番正確かを、実験して日夜探しています。それが研究を進める上での基本的な考え方。それは今も変わっていません。
 
宮崎:高橋先生は量子コンピューターの開発を研究されていますが、以前からなのですか?
 
高橋:語弊があるかもしれませんが、量子コンピューターの開発そのものをそんなに真剣にやっている人は、以前はいなかったんです。というのも目標が遠すぎて「できるかもしれない」という程度だったので。僕がもともとやっていたのは「量子光学」という光の物理。光は量子性がわりと見えやすい媒体なので、一番最初に発展したんですね。それがだんだん応用寄りになって、量子コンピューターが目標になっていきました。

高橋PMが開発中の微小光共振器一体型線形イオントラップ

宮崎:私は小さいころから生物に興味がありました。そのころから研究者になりたいな、と漠然と考えていたのですが、どんな研究をしようかということについては大学・大学院、ポスドクになってもずっと模索している感じでした。脳のメカニズムについて理論と実験の両面からアプローチしている銅谷賢治先生の研究に出会い、セロトニンやドーパミンといった神経修飾物質の働きについて実はまだよくわかっていないことを知り、私の得意な動物の行動実験でこの謎に挑戦したいと思いました。「沖縄で自分たちにしかできないオリジナルな研究をしよう」。これは銅谷先生が神経計算ユニット発足時にラボメンバーにかけた言葉ですが、これを目標にしていました。

高橋:実は私自身は、生物が苦手でして(笑)。僕らが扱うのはとてもシンプルで、単一原子なので原子1個しかないんですよね。僕らは1個でも苦労しているのに、脳の神経細胞は途方もなく膨大な数で、それを理解しようとされている。すごい話ですよね。

宮崎:私は逆に細かいことがあまり得意じゃなく(笑)。システム全体としてどのように働いているかということを調べたいという気持ちが強いですね。高橋先生の研究されているイオントラップについて伺いたいんですが、並べることができるイオンは最大でいくつか決まっているんでしょうか?

高橋:そうですね。並べてちゃんと制御できる量がだいたい決まっていますね。

宮崎:それをネットワークでつないでいくとなると、1+1=2じゃなくて、3や4になるというイメージがあるんですが…。

高橋:いや、むしろつなげた方が分は悪くなるんです。問題は接続性です。例えば10個と10個のイオンがあった時に、どことどこが繋がっているか。つながっているリンクが1本しかないと、20個全部が1箇所に集まっている場合に比べてイオン同士の接続性が悪くなります。一方で、すべてのイオンが1箇所に集まるとそれはそれで今度は制御性が悪くなる。なので、ある程度の数で小分けにしていくしかないのですが、その上で何本リンクが張れるかが将来的に重要で、私はそのリンクの部分を研究しています。宮崎先生は毎日どういうことをされているんですか?

宮崎:いくつかの技術を使って行動中のマウスの神経活動を観察したり操作したりする実験を行っています。観察ではセロトニン神経だけにカルシウムセンサーを発現させた遺伝子改変マウスを使って特殊なカメラなどで狙った脳領域を観察します。操作するときもチャネルロドプシンという光受容タンパク質をセロトニン神経に発現させた遺伝子改変マウスを用いて、特定の光を直接脳に照射することでその領域の神経活動を操作します。面白いなと思ったのは、餌が出るまで待っているマウスのセロトニン神経を外部から活性化させると、そのマウスがちょっと辛抱強くなったんです。セロトニン神経を活性化しないとだいたい12秒ぐらいで諦めるんですが、活性化すると17秒くらい待っている、といった感じです。

遺伝子改変マウスのセロトニン神経活動が高まる瞬間を捉えたデータ

高橋:それを人間に応用すれば、2050年にハッピーな社会になるということですか?

宮崎:もしハッピーな社会にまでできれば最高ですが、環境に柔軟に適応していく脳の仕組みを神経科学的に少しずつ理解していくことで、健やかなこころの状態、あるいはその偏りもある程度数値化できるようになればいいなと思います。例えばジムで体を鍛えるように、自分自身でこころも健やかに保つことができるようになるかもしれない。そんな未来に私たちの研究が貢献できれば嬉しいですね。

高橋:まず解明するということですね。我々の今の研究の段階としては、まだハードを作っている状態。簡単に言うとデバッグみたいなことです。うまくいかなかったのは何なのかを確かめて、それを改善していくという作業の繰り返しです。ずっと準備の連続で、そして最後に物理が来るんです。我々の研究は90%ぐらい準備なんですよ。

─ムーンショット型研究開発事業は「人々の幸福」を目指していますが、どういうところを「人々の幸福」と捉えて研究に臨まれていますか?

高橋:大きく言うと、やっぱり科学の進歩がなければ、人間の問題は多分解決できないんじゃないか、と。逆に言えば科学が進歩すれば、今ある課題も解決できていく。科学が19世紀から1つも進歩しなかったら、今とは全く違う社会で、幸福のあり方も多分違うと思うんです。

宮崎:19世紀と比べると私たちは物質的には豊かになっていますよね。医療も発展し平均寿命も延びています。その一方で私たちのこころは同じように「豊か」になっているのでしょうか? 例えば、新型コロナウイルスの発生は、自殺やうつなど精神的要素によって生じる社会的問題を顕在化させたとも言えます。精神的な豊かさを置いてきぼりにしたまま私たちは物質的な豊かさを追い続けているのではないでしょうか。ムーンショット目標9では「人々の幸福」として「こころの安らぎや活力の向上」を掲げています。私はこのテーマに非常に共感しておりまして、心の豊かさという視点で幸福を捉えて、研究を進めたいと考えています。

高橋:2050年という、遠い目標を立ててあることで、長期的な取り組みができるのはムーンショット型研究開発事業のいいところだと思います。現実的には、やはり「人材育成」が重要です。我々も学生の頃、指導教官が国家プロジェクトに携わって、そこでみんな集まってネットワークができて、次の世代がそれを受け継いだという歴史があります。なので、我々もそれを意識してやっていかないといけませんね。

─多くの研究者がお2人の研究に注目されていると思います。中でも、先生方のような将来像を見据えて研究している若手研究者の方々にエールをいただけますか?

宮崎:短期間で結果を出すことが求められることが多いので難しいところもあるのですが、そのとき予算を取りやすいような研究や流行っている研究というよりも、あまり光が当たっていないけど気になる、やってみたい、と心が強く動かされるようなことをテーマに選べると、研究する人生を、より豊かにできるのではないでしょうか。ただ現状では確かに勇気がいることなので失敗しても大丈夫という研究環境作りも必要だと思います。

高橋:後は楽しんでということですね。研究者は楽しめなくなったら終わりかな、と。なので、僕たちと一緒に研究したいという方は、ぜひ連絡して欲しいなと思いますね。

インタビュー・文:名小路浩志郎
写真:中村寛史


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