産業、経済を飛躍的に発展させる「誤り耐性型汎用量子コンピュータ」の実現に挑む!
JSTでムーンショットの広報を担当しているスズキマです。
この記事では、ムーンショット型研究開発事業として取り組んでいる9つの目標の中から、目標6『2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現』を推進するプログラムディレクター(PD)、大阪大学大学院基礎工学研究科 教授の北川勝浩先生へのインタビューをお届けします。
量子コンピュータは、いわゆるデジタルの概念である「0と1の組み合わせ」ではなく、物質を形作る量子の性質を利用することで、短時間での膨大な計算やより複雑な課題の解決を可能にすることができます。その本格的な実用化のためには、処理の途中で起こる誤りを自動で検知し、修正しながら正確な計算を行う、誤り耐性の実装が大きな鍵を握っているのだそうです。
この誤り耐性型汎用量子コンピュータが本格的に実用化されれば、経済、産業、安全保障を飛躍的に発展させることができるとも言われています。2050年の実用化という大きな目標に向けて、北川先生はどのような取り組みをされているのでしょうか? 日本科学未来館科学コミュニケーターの本間英智が聞きました。
地球規模課題の解決に糸口もー量子コンピュータの可能性
本間 英智(日本科学未来館科学 コミュニケーター): ムーンショット目標6では、量子コンピュータを使って、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させることを目指していますが、具体的にはどのようなことに利用できるのでしょうか?
北川 勝浩(大阪大学大学院基礎工学研究科 教授): さまざまな用途がありますが、代表的なものは化学反応のメカニズムの解明です。例えば光合成やマメ科の植物に寄生する根粒菌が行う窒素固定など、生物はとても効率の良い仕組みを持っています。しかしこれらの反応には非常に複雑な量子状態が関わっているため、メカニズムはまだ完全には解明できていません。反応に関わる酵素や物質は大体わかっているので、量子コンピュータを使えば解決できるだろうと考えています。
本間: 人工光合成などが実現できれば、さまざまな地球規模課題の解決につながりそうですね。
北川 : 私たちは量子コンピュータを使ってさまざまな課題を解決し、将来的には人々の暮らしをより豊かにすることに貢献していきたいと考えています。
本間: 量子コンピュータはいつ頃から研究が始まったのでしょうか。
北川: もともとは物質の状態を正確に調べるための道具として考えられました。 それまでの古典力学とは異なり、量子力学では物質の状態は1つに決まらず、いろいろな状態を同時に取り得ると考えます。すると簡単な化学反応であっても、それぞれの原子や電子ごとに無数の状態が存在し、1つ1つを調べていくと大変な計算量になります。 そこで1982年に米国の物理学者リチャード・ファインマンが、量子力学的に物質を研究したいなら、計算機自体を量子力学的にすれば良いと考えたんです。
本間: すごい発想の転換ですね。
北川: その後、1994年に物質とは関係ない問題も、普通のコンピュータより早く解けることがわかりました。これが有名な「ショアのアルゴリズム」で、素因数分解が早く解けるというものです。この発表後、量子コンピュータの注目度は急速に高まりました。
本間: インターネット通信の暗号にも素因数分解が使われていますね。それが量子コンピュータを使えば、簡単に解けるようになるのでしょうか。
北川: その通りです。現在使っている公開鍵暗号はいずれ量子コンピュータが解いてしまうことが明らかになったため、今世界中で量子コンピュータにも解読できない新たな暗号技術の開発が進んでいます。
新たな発想で世界をリードオールジャパン体制で挑む
本間: 量子コンピュータが本格的に実用化するまでにはまだ時間がかかりそうですが、どんな課題があるのでしょうか。
北川: 量子コンピュータの最も大きな課題は、エラーが生じた時にそれを検知して直す「誤り訂正」技術を開発することです。この技術自体は以前からあり、スーパーコンピュータなどでも使われています。一般的にコンピュータは外部からの影響で、さまざまなエラーが発生してしまうものなのですが、例えエラーが出たとしても訂正する機能が備わっていれば、問題なく使うことができます。
本間: 誤り訂正できないと、間違ったまま処理が進み、出てきた結果も大きくずれてしまうということですね。
北川: 量子コンピュータは、量子の状態の重ね合わせで情報を保持していますから、どこにどのようなエラーがあったのかを検知する仕組みが従来のコンピュータとは異なります。さらにエラーを修正して元に戻すのにも、新しいやり方が必要になるのです。1995年に先ほどのショアが量子コンピュータで誤りの訂正を行えることを示し、2014年にある符号で誤りを訂正し続けることができる性能の超伝導量子回路が実現しました。
本間: 複雑な計算を行うようになると、何度も誤り訂正を行う必要がありそうですね。
北川: しかし、まだ常に誤りを訂正し続けることはできておらず、20〜30年はかかるだろうと言われています。そこで目標6では誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現しようと考えました。
本間: 研究体制はどのようになっているのでしょうか。
北川: ハードウエア、通信ネットワーク、理論・ソフトウエアの3つの領域に分けて、研究開発を進めようとしています。
量子ハードウエアは、4つの方式を並行して研究しています。超伝導方式は日本電気の山本剛主席研究員、イオントラップ方式は沖縄科学技術大学院大学の高橋優樹准教授、光量子方式は東京大学の古澤明教授、半導体方式は日立製作所の水野弘之主管研究長が担当しています。
本間: どの方式が本当に有効なのかがわからない中での研究なので、一極集中ではなく、可能性の高い4つの方式全てでレベルを上げていく必要があるのですね。
北川: 超伝導量子ビットと通信用光子をつなぐ量子メモリや量子インターフェースの開発は横浜国立大学の小坂英男教授が行っています。大阪大学の山本俊教授は、複数の中小規模量子コンピュータを接続したネットワーク型量子コンピュータの構築を目指しています。誤り耐性実現のための理論とソフトウェアは、東京大学の小芦雅斗教授が担っています。
本間: まさにオールジャパン体制で研究開発に挑んでいるのですね。
北川: こうした研究開発を一体的に行うことにより、部分的な研究要素だけでは生まれない新しい発想が得られ、それも取り込みつつ誤り耐性量子コンピュータの開発を目指すことで、世界をリードできると期待しています。
5~10年で先頭集団の一員に次世代の参入にも大きな期待
本間: 世界中で開発が行われていますが、今後の動向や日本の位置づけをどのようにご覧になっていますか。
北川: 今の研究業界では、誤り耐性型汎用量子コンピュータの実現が重要な課題であることは共通認識です。日本も30年後の国の目標として宣言しましたが、国としてここまで踏み込んだのは日本が最初です。タイミング的にはギリギリでしたが、このムーンショット事業が始まって良かったと思います。研究の進みは非常に速いですが、この5年から10年で、少なくとも先頭集団に入らなければいけません。一度トップから離れてしまうと、追いつくのは非常に難しくなります。
本間: 応用範囲が広いだけに、後れを取らないようにすることが重要ですね。
北川: 量子コンピュータの計算能力を生かすことで、化学や物理学を始めとする科学・工学全般が進歩します。その成果が産業、ひいては経済に波及し社会の役に立ちます。
本間: 若い世代の読者にもメッセージをお願いします。
北川: 今高校生の人たちも、30年後には指導的な立場に立っていることでしょう。大学などで量子力学やコンピュータサイエンスを勉強して、この分野を担ってほしいですね。量子はなかなかわかりにくい分野ですが、面白さやすごさを積極的に発信し、若い人たちが興味を持って参入してくれるようにするのが、私たちの務めだとも思っています。
本間: 研究者だけでなく、多くの人たちに影響を与えそうですね。
北川: 30年前には限られた人しか使えなかった当時のスーパーコンピュータが、今ではタブレット型コンピュータになり、目の前にあります。同じように30年後には量子コンピュータも誰もが使えるようになります。
ですからさまざまな問題を考えるときに、今は解けなくても量子コンピュータなら解けるかもしれません。何を実現したいかがはっきりしていれば、あとは量子コンピュータがやってくれる、そんな世界がきっと訪れるでしょう。