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東洋と西洋の知を融合して、未来の医療と社会を変える:齋藤滋×町井恵理

「いろいろな病気を診ていると、体調がゆるやかに下がっていき発病するのではなく、ある時点で急に発病する。なぜなのだろう?」。
この疑問が「未病」という未知の研究をスタートさせました。
ムーンショットプロジェクト「複雑臓器制御系の数理的包括理解と超早期精密医療への挑戦」の課題推進者 齋藤滋さんの願いは近未来の治療法をつくり、健康で明るい社会をつくることです。同じ思いを抱きアフリカで置き薬事業などの医療活動にあたるAfriMedico代表理事の町井恵理さんと、「未病」の研究によって医療がどう変わるのか、予想される社会へのインパクトなどを語ってもらいました。

齋藤滋:富山大学長及び同大学未病研究センター長。医学博士。1984年奈良県立医科大学大学院医学研究科修了。同大学産婦人科学教室に入局し、臨床研究に携わる。富山医科薬科大学医学部産婦人科学教授、富山大学医学部産婦人科学教授、同大学医学薬学研究部教授、同大学附属病院長などを経て現職。2020年より、JSTムーンショット目標2 合原一幸プロジェクト「複雑臓器制御系の数理的包括理解と超早期精密医療への挑戦」の課題推進者
町井恵理:認定NPO法人AfriMedico代表理事。薬剤師。青年海外協力隊としてアフリカのニジェール共和国で、感染症対策のボランティア活動に従事。アフリカの医療を改善したいと思い立ち、グロービス経営大学院へ進学。2015年に日本の置き薬をビジネスモデルとしたAfriMedicoを設立し、タンザニアで医療活動を展開している

数理科学との幸運な出会い

町井:富山というと漢方薬や置き薬で知られています。MBA(経営学修士)の大学院生として研究をしていたときに、富山県庁を訪れ、置き薬の歴史や仕組みを教えていただき、それがアフリカでの今の仕事につながりました。

齋藤:町井さんは薬剤師でもいらっしゃいますね。置き薬を届ける人には、薬の知識が必要です。症状を聞いて、この薬がいいですよと教えていたのです。

町井:私たちも置き薬を通して現地の人たちが病気の予防に努めてくれるように、セルフメディケーション(自分自身で健康管理する)を広める活動を進めています。置き薬はトリアージ、病院に行く前の1つのステップではないかと考えています。

紙芝居でマラリアの原因や予防法を説明する町井さん(提供:AfriMedico)

富山大学には和漢医薬学総合研究所がありますが、先生の研究テーマである「未病」も漢方に由来するのでしょうか。未病というのは「まだ病気ではない」という意味で、病気だと思っていなかったのですが。

齋藤:一般の人にアンケートを取って、「未病は病気ですか、病気ではないですか」と聞いたことがあります。およそ半数の人は病気ではなく、健康な状態だと答えました。私たちの研究グループが取り組む「未病」は病的な段階です。

私が未病のことを知ったのは、2300年前に中国で書かれた最古の医学書『黄帝内経』でした。「未病を治すことができる医師は最も優れている(上医)。病気になってから治すのは最もランクが低い下医である」と書かれています。

これはすばらしいことだと思いました。というのも私たち臨床医は、徐々に体調が悪くなって病気になるのではなく、ある時点で急激に体調が悪化して発病するという患者さんを数多く診ています。この病気はいつから始まっていたのだろうかと疑問に思っていました。未病の存在を感じていたのです。

古代中国の医学から見たら、現代の医療は下医です。

町井:そうなのですね。驚きです。

齋藤:近未来の医療を考えるなら、未病の状態を捉えて、早め早めに対応し病気にならないようにする。もしくは、病気になるのを遅らせたい。そこを目指していこうと、未病の研究プロジェクトを立ち上げました。

まず解明したかったのは、「未病」とはどんな段階かです。私たちは「未病」の時点でなんらかの処置をすれば病気を治療するよりも容易に正常な状態に戻せるのではないかと考えました。

この問題に取り組むきっかけになったのは、東京大学の合原一幸特別教授/名誉教授(現ムーンショット目標2 プロジェクトマネージャー)らが確立されたDNB(動的ネットワークバイオマーカー)理論という数理科学の研究でした。病気になる前に、症状や体内の物質が大きく変動する時期があり、その後、急激に下降して病気の状態になることを理論的に証明したものです(図1)。合原特別教授/名誉教授らはこの大きく変動する時期が「未病」ではないかと考え、この理論を動物実験で実証するため、富山大学に共同研究を提案していただきました。そこで、大学全体で未病を解明しようと、7つの学部から48名の研究者が集まって2020年に未病研究センターを立ち上げました。

図1:DNB理論の概念図 未病状態で大きくゆらいだ後に病気(発病)状態になる(提供:齋藤さん)

町井:それがムーショットの研究につながったのですね。

齋藤:これまで私たち医師や生物学者は平均値で判断していました。正常なときの平均値と病気のときの平均値に差があると、その指標を病気診断の基準に利用してきました。未病のように大きくゆらぐ状態は、ばらつき(誤差)が大きく、統計学的に意味がないデータとして捨ててきたのです。DNB理論では、大きくゆらぐことが非常に重要なイベントになるのです。目からうろこでした。

未病は複雑臓器制御系から始まっていた

町井:未病のゆらぎというのはどうやって見つけるのですか。

齋藤:メタボリックシンドローム(以下、メタボ)の例をご紹介しましょう。生後24週齢目くらいでメタボを自然発症するモデルマウスを使って脂肪細胞の遺伝子発現量の変化を追っていくと、発病する19週齢目くらい前に、大きくゆらいでいる遺伝子(標識となる因子)が147個見つかりました。数理学の専門家と協力して詳細に調べたところ、そのうちの2個が脂質代謝に関係していることが分かりました。

図2:メタボを自然発症するモデルマウスの遺伝子の変動。5週齢目で147個の遺伝子群とゆらぎとの相関が急激に増加しており、この時点がDNB理論で定義される未病と同定された(提供:齋藤さん)

町井:未病を科学的に捉えられたのですね。

齋藤:また、マウスを使って肥満を見る研究では、脂肪細胞だけでなく筋肉や脳、心臓、免疫系、肝臓、腸管など、すべての臓器で解析を行っています。つい最近、おもしろい結果が出ました。脂肪細胞の大きな変化は生まれて4 週齢目くらいの早い時期に起きるのですが、筋肉や脳、心臓ではそれから遅れて6週齢目くらいにゆらぎとして変化が起きていたのです。

町井:それが、プロジェクト名にある「複雑臓器制御系」のことでしょうか。

齋藤:そうです。生体の臓器はネットワークをつくっていて、未病にはさまざまな臓器が関連しています。最初に変化が出てくる臓器が分かれば、その臓器を正常に戻すための薬剤などを開発することができるでしょう。まずは、未病の臓器を見つけるためにはどんな検査が最適かを明らかにしていきたいと考えています。

町井:アフリカではマラリア患者が多く、蚊に刺されると発病しますが、未病の段階があるのでしょうか。

齋藤:未病の段階があるのは主に慢性疾患で、徐々に病状が変化していくものでしょうね。

町井:がんや糖尿病ですか。

齋藤:それからメタボ、精神系疾患、認知症も可能性があるでしょう。

町井:未病の解明には膨大な検査が必要になりそうですね。メタボや糖尿病のほかに、これまでに解析された症例はありますか。

齋藤:工学の研究者の協力を得て、ラマン顕微鏡という特殊な顕微鏡を用いて、白血病の未病状態が識別できるようになりました。生きた細胞のままで前がん状態の情報が得られるという画期的な研究です。

ラマン顕微鏡の全体像と実験の様子(提供:齋藤さん)

町井:未病の段階で何もしないと、何カ月後、何年後に発病するということまで推定できるようになりますか。

齋藤:それはできるようになるでしょう。ただ、今、行っている検査は動物実験なので、人の臨床データを使って、非侵襲的な検査ができるシステムもつくっていく必要があります。

町井:尿や唾液、血液などの検査なら受けやすいですね。

未病へのアプローチ──未病の治療と予防医療の違い

町井:未病が詳しく分かってくると、治療を未病から捉えるようになりますか。

齋藤:未病の段階では、生薬が有効ではないかと考えています。西洋医薬は対症療法で、痛みに対しては鎮痛剤、熱に対しては解熱剤を使いますが、未病は症状が出ていない段階なので、これらの薬を使う必要がありません。漢方薬はいろいろな成分の複合的な作用で体のバランスを整えるものなので、未病の治療に向いていると思うのです。

実際に自然発症メタボマウスを使って実験したところ、漢方薬を使うとゆらぎがなくなり、糖尿病や高血圧の発症を抑えられることが証明されました。未病の段階でコレステロールの薬を飲ませたり降圧剤を飲ませたりしても、効果はないのです。

生薬は伝統医薬として今でも中国やアジアでよく使われていますが、アフリカでも使っていますね。

町井:マサイ族が生薬を使っていろいろな薬を調合しているのを間近で見てきました。惚れ薬なんかもありますよ(笑)。

齋藤:アジアやアフリカの生薬も利用したいと考えていて、現地で成分を抽出してスクリーニングすることも計画しているところです。

町井:なるほど、おもしろいですね。アフリカでは私たちのネットワークをぜひ、活用なさってください。薬以外のアプローチはありますか。

齋藤:運動や食事も重要でしょう。今でも、1日に8,000歩、歩こうとか、脂質の多い食事を取るのはよくないと言われますが、未病への効果もあるはずです。

町井:自分で異常を感じていないと、薬を飲むのも、食べ物や運動に気をつけるのも、行動を起こしづらいですね。

齋藤:それは未病の段階がはっきりしておらず、予防医学的なアプローチになっているからです。

町井:予防医療と未病へのアプローチは違うのですか。

齋藤:予防医療は疾患のリスクがあるすべての人に対して行うものです。普通の人(リスクのない人)がある病気にかかる確率が5%だとします。その2倍つまり、確率が10%の状態の人は疾患リスクがあると判断され、予防医療の対象になります。例えば、コレステロールが高い人は、将来、脳血管障害や心筋梗塞を起こす確率が普通の人よりも高いです。そこで、これらの病気を予防するために、コレステロールを下げる薬を飲むのです。ただ、実際に病気になる人は10%で、残りの90%の人は病気にならないのであれば、薬を飲まなくてもよかったということになります。

一方で、未病の治療では、症状は出ていないけれど、ゆらぎが出てきて、もう少しすると病気になりかかっている人を対象とします。つまり、病気にならない90%の人を治療の対象から外せるのです。

町井:未病の治療は根本療法になるのですね。自分で健康管理するセルフメディケーションにもつながっていく。

齋藤:そうです。健康診断で未病の検査をして、「今は未病の5段階中の第2段階です」とか「もう第4段階です」といったコメントが出れば、意識はずいぶん変わってくるはずです。

町井:私たちも置き薬をアフリカの家庭に届けながら「この薬を使わないためにはどうすればよかったのか」という説明をして予防の啓蒙活動をしていますが、人々の意識を変えるのはなかなか難しいですね。健康診断を受けて健康だったらポイントがもらえるといった制度があったら、もっと健康を意識して生活する人が増えそうですね(笑)。

町井さんは日本の置き薬のしくみを活用して「健康と笑顔を届けたい」と、タンザニアで活動している(提供:AfriMedico)

未病のゆらぎが医療そして社会をゆり動かす

町井:今の創薬のシステムでは、動物実験や安全性の評価などがフェーズごとに厳格に決められていますが、未病状態に対する創薬には新たなシステムが必要になるのではないでしょうか。

齋藤:そこは、われわれ研究者が未病は病気であるということを明らかにして、一方で日本の厚生労働省もそれを認めてもらう必要があります。

医療経済から見ると、未病の段階で治療するということは医療費の大々的な抑制につながります。実際に病気になる人が減れば、どれだけ社会保障費を節約できるかということを証明することも必要でしょう。

町井:まさに「予防は治療に勝る」ですね。経済的なメリットがきちんと出せれば、すごいインパクトだと思います。

未病の根本療法が広まると、私たちの生き方や暮らしも変わっていくのでしょうね。

齋藤:私の理想は、健康寿命を延ばすことです。多くの疾患で発病を未然に防ぐことができるようになれば、生き生きとした老後を送ることができます。働いて収入を得られる期間も延びるでしょうし、介護を受けなければならない期間も短くなります。最期に、「良い人生を送れたな」と思ってもらいたいのです。

日本の社会も変わってくると思います。今の若い人は、老後のことが心配で子どもをつくれないと聞きます。子どもに頼らなくても自立できる高齢者が増えれば、社会はもっと明るくなるはずです。

町井:未病の研究は日本で始まりました。日本は未病先進国ですね。

齋藤:そうです。私たちは、未病という概念を世界に広めたいと思っています。

町井:私が活動しているアフリカでは若者が多く、人口構成が日本とは大きく異なります。今後、人口が増えて高齢者も増えていくでしょうが、それに加えて、食の欧米化の影響もあり、肥満や生活習慣病も出てきています。
ダイエットに励む若者がいる一方で、中年層には「太っている人=裕福」と考える人もいて、糖尿病や脂質異常症の患者が急増しています。ですから、未病の概念を伝える際には、年代別のアプローチが必要になるかもしれません。

齋藤:アフリカにはパワーがありますね。子どもが多いからでしょうか。

町井:行動力に驚かされます。固定電話の普及を待たずにスマホでのネットバンキングが急速に普及するなど、新しい技術やサービスがリープフロッグといって飛び級で発展しているのです。未病の概念も急速に広がっていく可能性がありますね。

アフリカで未病の概念が急速に浸透すると、社会システムも一挙に変わってしまうのではないでしょうか。これはアフリカだけのことではありません。未病のゆらぎが世界中にゆらぎを起こす。これはすごいことです。プロジェクトの今後の研究におおいに期待しています。

構成:福島佐紀子
写真:盛孝大


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