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「自在ホンヤク」と「睡眠と冬眠」。異なる視点が新しい未来をつくる:筒井健一郎×柳沢正史

JSTのムーンショット目標9において「多様なこころを脳と身体性機能に基づいてつなぐ「自在ホンヤク機」の開発」に取り組む筒井健一郎プロジェクトマネージャー(以下、PM)。一方、日本医療研究開発機構(以下、AMED)のムーンショット目標7において「睡眠と冬眠:二つの「眠り」の解明と操作が拓く新世代医療の展開」というプロジェクトを率いる柳沢正史PMは、神経科学の最大の謎の1つとされる眠りに挑んできた睡眠研究の第一人者です。脳や神経が関わるテーマに、それぞれの視点で取り組む研究者どうしの対話が刺激になって、新たな協力関係も生まれそうです。

筒井健一郎:東北大学教授 大学院生命科学研究科脳神経システム分野、大学院医学系研究科(兼任)、理学部生物学科(兼任)。1999年東京大学大学院博士課程修了・博士(心理学)。日本学術振興会特別研究員、ケンブリッジ大学解剖学科リサーチアソシエイトを経て、東北大学へ。2017年東北大学教授。主な研究対象は高次脳機能
柳沢正史:筑波大学 国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS)機構長・教授。株式会社S’UIMIN代表取締役社長。1985年筑波大学医学専門学群卒業、1988年大学院医学研究科博士課程修了、医学博士。1991年 PIとして渡米。1996年テキサス大学サウスウェスタン医学センター教授・ハワード・ヒューズ医学研究所研究員。2010年筑波大学教授を兼任。2012年WPI-IIIS機構長

「自在ホンヤク機」ってどんなもの?

筒井:今回のプロジェクトのテーマは「自在ホンヤク機」を開発することです。ちょっと不思議な名前をつけたので、ドラえもんを連想する人も少なくないらしいですよ(笑)。どんなものかというと、以心伝心、自由自在なコミュニケーションを実現するための支援デバイスなのです。

もう少し具体的にお話しすると、例えば、もちろん合意の上となりますが、コミュニケーションしている相手に自在ホンヤク機を使うと、相手が何を感じているか、何を考えているか、お互いヒントが得られる。あるいは、相手に自分がどう見えているかがわかりやすく表示される。そんなソフトウエアの開発です。メタバースの中で共同で仕事をするのにも役立つかもしれません。

ゴーグル型やスマートフォン型のデバイス、プロジェクションマッピング、支援ロボットなどのかたちをとり、さまざまな場面で、言語、および非言語(映像・音声、身体感覚など)のマルチモーダルな支援によってユーザーの負担を軽減し、円滑なコミュニケーションを実現する
(提供:筒井PM )

実現するための方法として、脳・神経科学や分子生物学の最新技術も活用します。社会実装は、医療よりさらに広く、一般の人たちを考えています。プロジェクトにはバーチャルリアリティーやロボット工学、そしてAIの専門家も参加しているんですよ。

柳沢:実現するには、相手からいろいろなシグナルを取ることが必要ですね。どんなシグナルを考えていますか。

筒井:ターゲットを2つに絞っています。1つは脳波です。これは柳沢先生の睡眠研究にもリンクすると思います。もう1つは、最近各方面で注目されているエクソソーム(※)です。

私はずっと「こころ」に関心を持ってきましたが、こころは脳だけではなくて、身体とも関連しています。脳・腸との関連はよく言われますが、肝臓、心臓、肺やその他さまざまな臓器と関連していると考えられています。脳とほかの臓器との情報伝達に、自律神経系や内分泌系が大きな役割を果たしていますが、エクソソームもそうではないかと思い、こころを読み取る手がかりとして注目しています。

柳沢:エクソソームが脳や自律神経系の状態を反映するというような知見は得られているんでしょうか。

筒井:ASD(自閉スペクトラム障害)の人と定型発達の人のエクソソームを比べると、多岐にわたって違っていることがわかってきました。さらに、ASDの人に生活習慣の改善などをはかってQOL(生活の質)が向上すると、エクソソームの状態が定型発達の人に近くなってくるというデータもあります。世界には脳内のエクソソームに着目して分析を始めた研究チームはありますが、全身の臓器という観点からの研究は、われわれのプロジェクトメンバーである星野歩子さんが最初だと思います。

柳沢:自在ホンヤク機は、ASDの人や、いわゆる空気を読めない人などには大きな助けになりそうですが、逆に普通の人にとっては、ちょっと困るということもあるかもしれませんね。こころの中は究極のプライバシーですから。

筒井:知られたくないこともありますよね。そういう時にはスイッチをオフにできることが重要だと思います。この開発が成功した暁にどう使うかという倫理の問題については、専門家を交えてチーム内でしっかり議論し、取り組んでいます。

考えられるもう1つの用途は、コミュニケーションのスキル向上です。自分のこころはいったいどうなっているのか、相手からどう見られているのか、わかりやすいフィードバックがあるとコミュニケーション能力の向上に有益でないかと考えています。
まずは、快・不快を高い精度でリアルタイムに読み取ることが目標です。

サルやマウスで脳の深部と頭表に同時に電極を設置して、表面脳波から深部の脳活動を推定する方法を数学的に開発しているところです。ヒトで推定する技術にはまだ至っていないのですが、動物実験でアルゴリズムを改良しながら、マウス、サル、ヒトに共通で適用できる基本原理を確立し、速やかにヒトで使えるよう、実用化したいと考えています。

さらに、睡眠中の夢の内容を読み取って、ストレスやPTSD(心的外傷後ストレス障害)などのネガティブなこころの状態をポジティブな状態に変えたいというのも、大きな目標です。悪い夢を見たら、何らかのかたちで介入して、それが記憶に残らないようにする。

マウスを使った研究で、睡眠中に嫌な記憶を海馬に書き込んでいる個体ほど、うつ状態に陥りやすいという研究結果を、プロジェクトのメンバーである佐々木拓哉さんが最近発表されているんです。

柳沢:頭表から脳深部の活動を記録するんですね。ハードルがかなり高いかもしれない。私たちの研究所でも、レム睡眠状態で多チャネルの脳波から読み取りを機械学習させて、感情がいくらかわかる、というところまではやっています。眠っている被験者をレム睡眠中に起こして、どんな夢を見ていたか確認するんです。

筒井:ムーンショットは、2050年を見据えて、より大胆な発想に基づく挑戦的な研究開発を推進するプログラムなので、じっくりと取り組んでいくつもりです。

神経科学最大の謎「睡眠」と応用に期待の「冬眠」

柳沢:私たちは、睡眠という切り口から、人生100年時代に最期まで健康でいることを目標にプロジェクトを進めています。研究に使っているのは、主にマウスです。私が知りたい本質的な点は、眠気とは何かということです。長く起きていると睡眠のプレッシャーが次第にたまってきて、眠いと感じるようになる。そのプレッシャー、つまり睡眠要求とはいったい何なのか、がいまだにわかっていないのです。これは神経科学に残されたブラックボックスの1つで、その謎を解きたいと、基礎的な研究をしています。

筒井:基礎的な研究ですが、応用は無限に広がりそうですね。

柳沢:睡眠は脳がオフラインになる状態です。自覚的にも他覚的にも意識のない状態で、外界の刺激に対して非常に鈍くなります。そんな状態になることが、なぜ必要なのか。これは大きな謎です。

私たちはマウスとショウジョウバエも調べていますが、昆虫も眠りますし、線虫だって眠ります。睡眠時間は哺乳動物の中でも2、3時間から20時間ぐらいまでさまざまです。総睡眠量が同じでも、寝たり起きたりを繰り返すか、まとめて眠るか、動物によって違います。最近の論文では、あるペンギンは数秒の睡眠を1日に何千回も繰り返し、総睡眠量は10時間ぐらいになるそうです。

逆の極端な例が実は人間なんです。霊長類の中でも、人間はすごく深く続けて眠ります。ノンレム睡眠の一番深い徐波睡眠が若い人だと30分から1時間続くことも。人間だけが、そういう睡眠をとれる安全な環境を自分でつくりあげる能力を獲得したということかもしれません。どうして、脳という生物学的コンピューターは、意識がなくなるような非常にリスクの高いメンテナンス状態がないと働かないのか。

筒井:それも1日の3分の1にもなる長い時間を睡眠に費やすわけですからね。

柳沢:そうなのです。動かないことで、捕食者から見つからないという安全を図るためなら、起きた状態で動かないストラテジーの方が良いと思うのですが。

私たちは冬眠の研究も手がけていますが、こちらも動物によって非常にバラエティーがあります。冬眠は睡眠とはまったく違う現象です。

私たちの研究所の櫻井武さんたちが、マウスの視床下部にあるごく少数のニューロン「Qニューロン」を刺激すると、マウスが冬眠のような状態になることを見つけました。サルでもできないか、やろうとしているんですが、筒井先生のチームに助けていただけると嬉しいです。サルにもQニューロンは存在し、人間にもあることはわかっているんですけれど。

筒井:霊長類でQニューロンの活動を操作したら何か起こるか、ぜひ見てみたいですね。

柳沢:人工冬眠中のマウスの体温は20度台前半まで下がります。25度ぐらいになると、バターは固まりますよね。つまり、恒温動物の体内の飽和脂肪は固まるはずですが、冬眠のような状態を解除してやると、代謝も戻り、すぐに元気になります。おそらく何らかの安全装置があって、冬眠中も身体を正常に保つようにしているらしいのです。

櫻井さんの共同研究者の砂川玄四郎さん(理化学研究所)は、重篤な急性疾患などの場合に、冬眠様の低代謝状態にすると、その間は病状が進行しないことを見つけています。これは重要な知見です。こんな操作が人間でもできるようになると、救急救命医療に革命的な変化が起こりうると考えています。

筒井:脳を保護する目的で低体温療法(体温管理療法)というのは一部で行われていますが、管理が大変なようです。生体が統合的にコントロールされている冬眠とは違いますね。

人工的な冬眠が実用化されれば、生物が本来持っている機能を安全なかたちで活用できるようになるわけで、革命的だと思います。方法としては、薬剤で神経細胞を刺激することになるのでしょうか。

柳沢:Qニューロンに特異的な薬剤のターゲットが見つかれば、創薬のルートに乗せることができます。そのほかに、脳の深い部分を刺激する方法がこれからいろいろ出てくるのではないかと思います。

筒井:磁気とか超音波も考えられますね。

「こころ」の研究と「眠り」の研究を結んで

柳沢:筒井先生は、どんな経緯で研究者になられたのですか。

筒井:もともとは漠然と「こころ」というものに興味がありました。私が大学に進む1990年頃には、こころを研究する分野として一般に知られていたのは、心理学か、精神医学でした。私は研究者になりたかったので、心理学を選びました。

心理学科に進んだ後、見学に行った研究室でサルを使って脳の研究をしていたんです。行動中のサルの脳に電極を入れて、ひとつひとつの神経細胞の活動を丹念に記録するという古典的な研究でしたが、これが、こころの科学的な研究なんだ、っていうことで、目からウロコの思いでした。

これまで、研究としては神経回路の構成と電気現象を主な対象にしてきたのですが、このテーマは社会実装にはなかなか結びつきにくい。もう少し社会との結びつきができないものかと思っていたところ、だんだん科学や技術が進歩して、構造と機能、さらにその背景にある遺伝子についての理解が進んできました。電気現象の研究をそのあたりにリンクさせることができれば、もっと広がりを持てるのではないか、と考えています。

柳沢:こころの科学を追求するという先生のテーマは一貫していますね。まさにブレインマシンインタフェースに結びつきそうです。人間に対する侵襲的な手段を使った研究は、欧米で、特に米国で非常に進んでいますが、日本ではそれが難しいので、日本の強みは非侵襲的な研究ということになりますね。

筒井:ほかに治療法の選択肢がないような病気だけではなく、さまざまな病気や、さらにより広い社会実装を考えると、やはり非侵襲的な方法が求められるので、そこに強みを発揮していきたいと考えています。トランスレーショナルな目的の霊長類研究は、日本でも多くないので、われわれがいいモデルケースとなるよう成果を出したいと思います。
柳沢先生は、どんな経緯で研究者になられたのですか。

柳沢:私は研究したくて医学部に行きました。臨床も魅力的でしたが、卒業するときにやはり基礎研究を選びました。その時、自分で「あさっての患者を治す」という標語を作ったんです。

大学院生の時に、血管を収縮させる物質エンドセリンを発見することができました。それがきっかけで米国にリクルートされ、31歳で独立して自分のラボを持ちました。結局、24年間、米国にいたんです。

筒井:睡眠研究に変わるきっかけはオレキシンの発見ですか。

柳沢:そうです。1990年代後半当時はまだゲノム解析はできていなくて、やっとmRNAの配列データが充実してきた時分です。そのデータベースを見ると、Gタンパク質共役型受容体らしい遺伝子がたくさんあるにもかかわらず、その相手がわかっていない。受容体の未知の相手を見つければ、新しい分野が開けるだろうと考えて、研究プロジェクトを1996年から始めました。

そこで最初に見つかったのがオレキシンです。まさしくビギナーズラックでした。長年の共同研究者の櫻井さんがポスドクで来てくれた時の仕事です。オレキシンは視床下部でつくられる神経ペプチドですが、最初は機能がよくわかりませんでした。絶食状態で多く産生され、脳内に注射すると食欲が出るんです。

筒井:外側視床下部でつくられているんですね。

柳沢:当時はここは摂食中枢と呼ばれていました。ところが、オレキシンをつくれないマウスをつくってみたところ、予想外にまったく痩せない。思い立って夜の行動を観察してみました。普通なら昼間は眠って夜は活動しているマウスが、夜いきなり眠るのです。調べると、そのマウスはナルコレプシー(居眠り病)でした。その後、ヒトのナルコレプシーがオレキシン欠乏によることが見つかって、オレキシンは覚醒に必須な物質であることがわかっていきました。これをきっかけに、ラボの方向性を睡眠に切り替えていったんです。

筒井:ずいぶん思い切った方向転換でしたね。

柳沢:私のスタイルは探索研究なのです。エンドセリンは血管内皮由来の収縮物質を探索した結果でしたし、オレキシンを見つけたきっかけも、相手がわからないオーファン受容体の相手を見つけるという探索です。ナルコレプシーの発見も、何か仮説があったわけはなく、マウスは夜行性だからとにかく夜の行動を見てみようという探索的な観察がきっかけになりました。

今、ムーンショットでやっているのも、マウスにランダムにDNAの変異を入れて、睡眠がおかしくなっている個体を見つけることによって、原因遺伝子を探し出そうという探索研究です。ある程度うまくいっていて、睡眠の根本原理を探りたいと思っているところです。

筒井:生物学は未知のことが多いですから、理論先行で仮説を立てて、という研究スタイルとともに、広く探索すること、そして、重要な現象を見逃さないことが、大切ですね。

柳沢: その後、睡眠を調べるのに欠かせない脳波計を簡便なかたちに工夫して、これを普及させるためにS’UIMINというベンチャー企業を2017年に立ち上げました。在宅で誰でも手軽に睡眠時の脳波が測定できるようになり、全国220カ所ほどの医療機関で使われています。会社のHPからも申し込んで体験していただけるようになっています。

S’UIMINの脳波測定の様子(提供:株式会社S’UIMIN

筒井:私たちの研究成果で役に立つものがあれば、先生のツールの追加機能としてぜひ使ってください。

柳沢:そうですね。現在はうちの脳波計は4チャネルですが、機能を追加できるといいと思います。

筒井:大きな組織をつくられて、そこを拠点に睡眠学という新たな領域を構築されました。私にとって社会実装を行うのは、今回のムーンショットで初めての新しいチャレンジです。柳沢先生は、さらに研究成果を生かしたベンチャー企業も立ち上げておられますから、ぜひいろいろとお手本にさせていただいて、これからしっかり取り組んでいきたいと考えています。

※エクソソーム
細胞が分泌する大きさ1万分の1ミリメートルのカプセル状物質で、中にマイクロRNA、mRNA、DNA、タンパク質などを含む。細胞どうしの情報伝達ツールとして働き、がん細胞から放出されるものは転移などに関係している。認知症や神経難病などさまざまな病気との関連のほか、受精や肌の老化との関連も注目される。

構成:古郡悦子
写真:盛孝大


関連情報

ムーンショット型研究開発制度(内閣府)

■ムーンショット目標9(JST)
「2050 年までに、こころの安らぎや活力を増大することで、精神的に豊かで躍動的な社会を実現」

■筒井 健一郎 PM のプロジェクト
「多様なこころを脳と身体性機能に基づいてつなぐ「自在ホンヤク機」の開発」

■ムーンショット目標7(AMED)
「2040 年までに、主要な疾患を予防・克服し 100 歳まで健康不安なく人生を楽しむためのサステイナブルな医療・介護システムを実現」

■柳沢 正史 PM のプロジェクト
「睡眠と冬眠:二つの「眠り」の解明と操作が拓く新世代医療の展開」

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