光量子コンピューターの実用化に挑む 誤りは「訂正」でなく「耐性」で対処
AI(人工知能)活用の急拡大など、コンピューターにはさらなる処理能力が求められている。電気信号を用いてデジタル処理を行う従来のコンピューターの進歩が限界を迎える中、膨大でタイプが異なる複雑な計算処理を可能にするものとして脚光を浴びているのが量子コンピューターだ。だが、その実用化には正確な計算を行うための「誤り訂正」をはじめ、数々の難題が立ちふさがっている。これらの難題を解決するため「光量子コンピューター」の実用化に挑んでいるのが、東京大学大学院工学系研究科の古澤明教授だ。
※JST広報誌『JSTnews 2025年1月号』に掲載された、目標6の古澤 明プロジェクトマネージャーの特集記事を転載※
「重ね合わせ」の原理を利用 ノイズでエラー起きやすく
暗号解読や最適化、AI、シミュレーションなどの計算をより高速に、より少ない消費電力で実行し、さまざまな分野に革新をもたらすものとして多くの期待が寄せられている「量子コンピューター」。現在、多くの研究者によって開発が進んでいる。実現するための方式として有力視されているのは、超伝導方式・半導体方式・イオントラップ方式・冷却原子方式、そして光方式の5つだ(図1)。
これらの中で「光方式」に着目し、光量子コンピューターの実用化を目指して研究に取り組んでいるのが、東京大学大学院工学系研究科の古澤明教授だ。光方式を用いた光量子コンピューターはいくつかの優位性を持つ。例えば、室温で動作可能なことから装置の小型化が期待でき、構築や運用にかかるコストも削減できる。また、これまで多くの研究者が開発し実用化してきた、光通信に関する技術や部品を利用できることもある。
古典コンピューターは暗号解読などの計算処理が不得手だが、量子コンピューターはなぜ高速に行えるのか。古典コンピューターは0か1という2通りの状態(ビット)で情報を表し、計算を行う。一方の量子コンピューターは、量子力学の「重ね合わせの原理」を用いることにより、0と1のどちらの状態(量子ビット)も取りながら計算できる。この性質を利用することで、瞬時に幾通りもの計算ができるのだ。その一方で、電磁波や熱といったノイズに弱く、それらの影響によって計算エラーが起きやすい。
そこで必要となるのが「誤り訂正」だ。これは、コンピューターの計算においてエラーが発生していた場合、それを検出して訂正する仕組みをいう。古典コンピューターは、誤り訂正を可能にすることで高い信頼性を実現し、広く普及した。対して、量子コンピューターは誤り訂正を行うことが困難なため、実用化への道のりが遠かった。それは光量子コンピューターにおいても同様であり、古澤さんらの研究グループは、この課題の解決に取り組んできた。
量子コンピューターといえば、超高速計算を思い浮かべる人が多い。しかし、古澤さんはその最適な応用例の1つとして人間の脳の仕組みをまねたニューラルネットワーク(神経回路網)があると考えているという。そもそも、人間の脳はいわば「アナログコンピューター」であり、誤り訂正を行わない大雑把な計算しかしない。しかし、何かノイズが発生しても、それを乗り越えて思考や計算ができる。「量子コンピューターも同様に外部からの影響に対して、誤り訂正ではなく『誤り耐性』で対処する、という仕組みに再定義して開発に臨むことが必要です」。
IT機器、信号変換でエネ消費 「光でエコを実現したい」
「私は光量子コンピューターでエコを実現し、地球を救いたくて研究しているのです」。そう古澤さんは静かに、だが力強く語る。近年、AIの活用が急速に拡大し、その計算処理を行うために膨大な電力が、古典コンピューターをはじめとしたIT関連機器によって消費されるようになっている。現在、全世界のエネルギー消費の半分以上がIT関連機器によって費やされているといわれており、さらに今後30年間で地球上のエネルギー消費の90パーセント以上を占めるとの予測もある。
「地球温暖化はIT関連機器が引き起こしている側面があるとも言えます。これは、古典コンピューターの主流がデジタル方式であることが一因です」と古澤さんは説明する。デジタル方式の古典コンピューターは、アナログ入力をデジタル信号に変換して誤り訂正を行った後に、デジタルコンピューティング処理を実施。さらに、その結果を再度アナログ方式に変換して出力している。この過程で非常に多くのエネルギーを消費するのだ。
光コンピューターが有望な技術として研究されていた時代もあったが、アナログ方式であるため誤り訂正ができず、それが可能なデジタルコンピューターに主流の座を譲った。しかし、2000年代に量子力学を用いることで誤り訂正できることが発見され、量子コンピューター実現への歩みが大きく加速。中でも、光量子コンピューターは現代社会の要請に合う多くのメリットがある。例えば、光の最大の特性である高速性をそのまま利用可能で、クロック周波数が高く、電気信号より速く計算できる。そして最も重要なことは、エネルギー消費を抑えられる点だ。
論理量子ビットを光で生成 大規模で高精度な計算可能に
現在、古澤さんはJSTのムーンショット型研究開発事業の目標6「誤り耐性型大規模汎用(はんよう)光量子コンピュータの研究開発」のプロジェクトマネージャーとして、研究開発に取り組んでいる。この目標6では、2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピューターを実現するという目的が定められている。「私たちの研究の特徴の1つは、光の量子ビットをつくっているだけでなく、超巨大な量子もつれをつくり出し、ネットワークを構築していることにあります」と古澤さんは語る。
量子もつれとは、2個以上の量子が特殊な相関を持つ状態を指す(図2)。古澤さんは「2次元クラスター状態」と呼ばれる、あらゆる量子計算のパターンを重ね合わせた状態である汎用的な量子もつれの生成に、世界で初めて成功。これにより、さらに大規模で汎用的な量子計算が可能な道筋が開かれた。そして、光量子コンピューターの実用化に不可欠となる「量子コンピューターにおける誤り訂正」においても、多大な成果を上げている。
その一例が、誤り耐性型量子コンピューターに必要となる論理量子ビットを光で生成できたことだ。誤り耐性型量子コンピューターを実現するためには、通常、多数の量子ビットを用い、かつ、それらを1つの論理量子ビットとして構成しなければならない。だが、そのためには膨大な物理量子ビットが必要となってしまう。そうした課題を解決するものとして注目を集めているのが「GKP量子ビット」と呼ばれる論理量子ビットである。
これは単一の光パルスの中で1つの物理量子ビットを用いて、論理量子ビットを生成可能にするというものだが、古澤さんらの研究グループは世界で初めて、光におけるGKP量子ビットの生成に成功した(図3)。超巨大な量子もつれにより大規模な計算を実現できる上に、GKP量子ビットを利用することで誤り訂正を用いた、より精度の高い計算も可能になる。「さまざまな計算用途で利用できることが、私たちが研究する光量子コンピューターの優位性であると考えています」と古澤さんは説明する。
スタートアップを9月に設立 来年度、産総研に1号機設置
古澤さんは日本電信電話(NTT)・理化学研究所との共同により、ラックサイズで大規模光量子コンピューターを実現可能にするための基幹デバイスとなる「光ファイバー接続型高性能スクィーズド光源モジュール」も世界で初めて開発した(図4)。これにより、従来よりも装置サイズを大幅に縮小した光量子コンピューターの実機開発が可能となった。「モノづくりに関して、私たち研究者はアマチュアです。ムーンショット型研究開発事業を通じて、モノづくりのプロフェッショナルである企業と共に研究開発できたことは、大きな飛躍のきっかけになりました」。
NTTは光を中心とした革新的技術を活用した高速大容量通信、膨大な計算リソースなどを提供可能なネットワーク・情報処理基盤である「IOWN(Innovative Optical and Wireless Network(アイオン:イノベーティブ オプティカル アンド ワイヤレス イノベーティブ ネットワーク)構想」を進めている。このことも古澤さんの研究の方向性と合致していたという。「光量子コンピューティングの実用化にあたって、5G/6GなどのNTTが長年にわたって取り組んできたテクノロジーを取り入れられたことも大きかったと考えています」。
これらの成果に基づき、2024年9月に光量子コンピューターの開発と販売を行うスタートアップ「OptQC(オプトキューシー)」を立ち上げた。古澤さんらの研究グループからスピンアウトして設立された会社で、古澤研究室の高瀬寛客員研究員が代表取締役、古澤さんは取締役を務める。同社は、このほど世界初となる光量子コンピューターの汎用機を開発した。25年度には、産業技術総合研究所に光量子コンピューターの第1号機を設置し、26年度からは商用提供に踏み出す計画だ(図5)。
これまでの研究成果に基づき、光量子コンピューターが実稼働できることを確認できたことから、古澤さんは会社を立ち上げたという。「私たちの光量子コンピューターは精密な数値計算ができ、アナログコンピューターとして誤り訂正をしない機械学習も行えるなど、オールマイティーに利用できることが特徴です。活用先としては、例えば画像認識による医師の診断の支援など、すでに多くのアイデアが浮かんでいます」と古澤さんは語る。
2024年11月には、強い量子性を持つ光量子状態の生成レートを従来の約1,000倍高速化したことを発表。従来の測定器の代わりに、光パラメトリック増幅器と超伝導光子検出器を用いることで、光源と測定の周波数帯域の大幅な向上に成功したのだ。この方法をさらに発展させれば、生成レートのキロヘルツからギガヘルツへの拡張、実用レベルの生成レートを持つ論理量子ビット生成の実現が期待できる。実用化に向けて着実に歩を進める古澤さんからますます目が離せない。
「面白い」が研究のモチベーションです。研究室のメンバーにもそのことを伝えていて、彼らには最も自分の得意とするところ、すなわち、自分が一番楽しめる領域で研究に取り組んでもらうようにしています。
(TEXT: 佐宗秀海、PHOTO:石原秀樹)
関連情報
■ムーンショット型研究開発制度とは(内閣府)
■ムーンショット目標6
「2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現」
■古澤明PM のプロジェクト
「誤り耐性型大規模汎用光量子コンピュータの研究開発」