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量子コンピュータのハードウエア開発を目指して:青木隆朗×古田彩

全く新しい方式の量子コンピュータ研究に取り組むムーンショット目標6のプロジェクト「ナノファイバー共振器QEDによる大規模量子ハードウェア」を率いる、青木隆朗プロジェクトマネージャー(以下、PM)。
2020年、コロナ禍で実験室に行けなかったときに、それまで頭の片隅にあったスタートアップの設立準備に本腰を入れて取り組み始めました。そして、2022年、日本では類を見ない、量子コンピュータのハードウェアのスタートアップを設立し、成長ステージを駆け上がっています。
青木PMはなぜスタートアップを設立し、何を目指しているのでしょうか。資金調達に成功した秘訣はどこにあるのでしょうか。長年、新聞や科学雑誌の記者・編集者として科学研究の世界を報じてきて、量子コンピュータや海外の事情にも詳しい古田彩さんが深掘りしていきます。

青木PMが取り組む、共振器QED系 量子コンピュータの記事はこちらから

青木隆朗:早稲田大学理工学術院先進理工学部 教授。博士(工学)。2001年 東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻博士課程修了。東京大学大学院工学系研究科 助手、JST「さきがけ」専任研究員(カリフォルニア工科大学滞在)、京都大学大学院理学研究科 特定准教授を経て2011年に早稲田大学へ。2014年より現職。2022年4月に量子コンピュータのハードウェアのスタートアップ、株式会社Nanofiber Quantum Technologies (NanoQT)を創業、最高科学責任者(Chief Scientific Officer:CSO)を務める
古田彩:日本経済新聞シニアライター兼日経サイエンス記者・編集者。1991年に慶應義塾大学大学院の修士課程(物理学)を修了して日本経済新聞社に入社。科学技術部で宇宙から医療まで幅広く取材する。1996年に英ヨーク大学大学院で医療経済学のMScを取得。帰国後は英字新聞The Nikkei Weekly、米シリコンバレー支局などを経て科学誌「日経サイエンス」編集部。2014年に起きた研究捏造事件「STAP細胞」問題を追跡し、日本医学ジャーナリスト協会賞大賞を受賞した。2017年から6年間日経サイエンス編集長を務め、2023年から現職。量子コンピュータをはじめ物理と情報科学を中心に科学記事を執筆・編集している

日本の量子コンピュータ研究に欠けているもの

古田:先ごろ、ナノファイバー・クオンタム・テクノロジーズ(NanoQT)という量子コンピュータのスタートアップを立ち上げられましたね。目的は何でしょうか。

青木:2014年にナノファイバー共振器QED系という、光子を介して原子同士を効率よく相互作用させるシステムを作りました。この系の特徴をどう生かすかを検討した結果、複数のシステムを光通信で結んで量子計算する分散型量子コンピュータを作るのに、ほかの方法に比べて圧倒的に優位だとの確信が得られました。研究を進める方法を考えていたとき、ふと周りを見てみると、国際会議の同じセッションでいつも発表してきた欧米の研究者たちが早い段階から自らの研究成果をシーズにしたスタートアップを立ち上げ、研究を猛烈に加速していました。

古田:確かにそうですね。超伝導や半導体などの固体素子を使う方式はコンピュータ研究の蓄積があるIBMやグーグル、インテルなどのIT大手が研究の中心になっていますが、原子やイオン、光など自然のものを量子ビットとして使う方式は、欧米を中心に大学発のスタートアップが主力を担っています。

青木: そういうわけで、私もスタートアップを作ることを考え始めたのです。量子コンピュータはまだ基礎研究の要素が多く、実用性が見えているわけではありません。それでも社会からの期待が強く、有力なスタートアップには民間投資家からびっくりするほどの資金が集まります。米国などでは、そうやって資金調達したスタートアップが、一流大学を凌ぐスピードで研究開発を進めています。

例えばイオントラップ方式を手がけるIonQは、メリーランド大学のクリス・モンローらが設立しました。当時はたった数量子ビットのシステムしかできていなくて、「よくやるなあ」と思いましたが、その後、信じられないほどのスピードで研究開発が進み、今では数十ビットの量子計算のマシンを運用しています。最近ではハーバード大学のミハイル・ルーキンとマサチューセッツ工科大学(MIT)のヴラダン・ヴレティッチらが設立した冷却原子方式のハードウエアを開発しているQuEraが目覚ましい成果を上げています。

一方、当時日本には量子コンピュータのハードウエアをど真ん中で開発しようというスタートアップが見当たらず、そのことにものすごく危機感を抱きました。そういう研究開発の形を日本にも作りたいと思ったのが、NanoQTを立ち上げた理由の1つです。

古田:なるほど。かつて1990年代から2000年代ごろまで、日本の量子コンピュータ研究はNECやNTTなどの名だたる企業が先頭に立っていて、海外の研究者から「うらやましい」と言われたこともありました。ですが、その後の10年間で状況は逆転し、一時は日本からハードウエアを開発する企業がほぼなくなってしまいました。最近ようやく増えてきましたが、日本に量子コンピュータのハードウエアを開発するスタートアップができたのは初めてではないでしょうか。

青木:はい。量子ソフトウエアのスタートアップはいくつかありますが、ハードウエアの研究開発を手がけるスタートアップはまだほかにないと思います。

研究者の新たなキャリアパスを作る

木:私がスタートアップを作ろうと思った理由はもう1つあって、それは日本の若手研究者が生活の不安なく、満たされた条件のもとで研究に邁進(まいしん)できる環境を作りたかったからです。

例えば米国では、Ph.D.を取った学生の中で最も優秀な人がスタートアップに行きます。何といっても待遇がいいし、投資家から集めた潤沢な資金をもとに掲げている目標を実現する研究を存分にやって、大きなブレークスルーを生み出すことを求められています。量子情報技術のスタートアップに職を得るというのは、よい大学のテニュア(終身在職権)を取るのと同等以上に魅力的キャリアパスになっているのです。

ひるがえって日本では、苦労して博士号を取っても、多くの場合、単年度契約のポストドクターしかポジションがない。待遇もよくなく、来年どうなるかもわからない。そんな状況の中、純粋な熱意だけで研究に打ち込んで、成果を上げて、非常に競争率が高い任期なしのポストを勝ち取っていかなくてはなりません。日本にも米国のスタートアップのようなキャリアパスがあったら、優秀な若者が研究に専念できるだろうと思いました。

古田:日本の若手の研究環境が非常に厳しいというのは多くの研究者が指摘していて、実際、生活や将来への不安から、博士課程に進む若者は減っています。海外ではむしろ大学院に行く人が増えているのに、これでは日本の科学力は落ちる一方です。先生のご趣旨は大変よくわかるのですが、日本で大学発のスタートアップを作ったとして、優秀な学生さんを厚遇で雇い入れることができるほど資金を調達できるでしょうか。

青木:確かに日本と米国では、投資家の数も額もケタが違います。ですので2023年の夏にNanoQTは本社を米国に移しました。グローバルな投資家から資金を得られるようにするのが狙いで、2023年9月に850万ドル(当時のレートで約12億5000万円)の資金調達を行いました。

中央オレンジ色のチャンバー部分に青木PMが取り組む共振器QED系のナノファイバーが収納されている

古田:設立はいつですか。

青木:2022年4月です。

古田:まだ新しいのですね。

青木:量子コンピュータを実現する方法として、私たちが開発したナノファイバー共振器QED系が「行ける」と結論を下したのは、2019年の前半です。それから研究の進め方を考えて、2020年3月に起業を決意しました。ですが、それから実際にNanoQTを設立するまで、約2年かかりました。その間、何をしていたのかというと社長のなり手を探していたのです。量子技術のディープテックというのはかなり特殊な分野で、経営がわかるだけではなく、量子物理学と量子情報科学を理解し、グローバルな経験がないと、この分野のスタートアップの社長は務まりません。幸い多くのベンチャーキャピタルに興味を持っていただきましたが、社長という最後のピースがなかなか埋まりませんでした。

古田:確かに、日本で研究開発型のスタートアップがなかなか増えないのは、経営を担える人材が少ないからだという話は、以前からよく聞いていました。でも見つかったのですね。

青木:2022年3月に早稲田大学ベンチャーズの紹介で現CEOの廣瀬雅に出会い、「ぜひやりましょう」と言ってくれて、そこからはとんとん拍子に話が進みました。彼は慶應義塾大学で半導体量子ビットを研究なさっている伊藤公平先生の研究室の出身で、MITでPh.D.を取り、その後マッキンゼーでコンサルタントとしてのキャリアを積んで、今回私たちのチームに加わってくれました。

古田:物理のPh.D.を持つ経営者というわけですね。最近、日本からもそういう人材がちらほらと出てきて、国内外で活躍されるようになりました。

青木:そうですね。日本の学生さんや若手研究者の方々に、博士号を取ったあとのキャリアパスとして、そういう人材が求められているということはぜひ知ってほしいなと思います。

廣瀬が加わってくれたことで早稲田の私の研究室でポストドクターとして一緒に研究してくれていた碁盤晃久が、NanoQTのCTOになると決断してくれました。彼は米カリフォルニア工科大学のジェフ・キンブル先生のもとでPh.Dを取得し、コロラド大学で原子の精密測定に関する研究をしていました。廣瀬も同じ時期に米国にいて、お互い名前を知っていたそうです。4月の初めに廣瀬と碁盤、そして私の3人で初めて会って話したのですが、その場で意気投合し、私はもちろん、ほかの2人も「この3人ならいける」と思ったそうです。その後わずか3週間で会社設立となりました。

古田:私も物理の出身ですが、以前は物理の大学院を出て研究以外の職に就くことは、先生や先輩にあまり歓迎されない風潮がありました。今では随分変わったのですね。

NanoQTの創業メンバー。左から廣瀬CEO、青木CSO、碁盤CTO(提供:青木PM)

青木:私自身、もともとベンチャーマインドからは最も遠いタイプの人間でした。それなのに自ら起業を考えるようになったのは、米国での経験が大きかったです。碁盤の前に、私自身がカリフォルニア工科大学のジェフ・キンブル先生のところで研究していたのですが、そこには世界中から優秀な研究者が集まっていて、一緒に同じチームで実験をしたり、隣の部屋で研究したりする毎日が楽しくてしかたなかった。ランチを食べながら、あるいは実験装置の調整をしながら議論する中で、いろいろなアイデアが出てくる。優秀な人間が集まって相互作用することで化学反応が起き、どんどん新しいことを思いつくんです。私たちのスタートアップがそんな場となり、日本の優秀な若手研究者たちに存分に研究してほしいと思っています。

古田:狙いは成功しましたか。

青木:NanoQTが、本格的に始動すると同時に、この分野において日本でトップの極めて優秀な若手研究者が次々と参加してくれました。最近では海外からも、優秀な研究者からの問い合わせや、実際に入ってくる人が出てきています。滑り出しは順調だと感じています。

留学先の研究室で。左から2番目がジェフ・キンブル先生

古田:NanoQTが、日本の研究開発スタートアップのモデルケースとなることを期待しています。本日はどうもありがとうございました。

構成:古田彩
写真:盛孝大
編集:サイテック・コミュニケーションズ


関連情報

■ムーンショット型研究開発制度とは(内閣府)

■ムーンショット目標6
「2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現」

■青木隆朗PMの研究開発プロジェクト
「ナノファイバー共振器QEDによる大規模量子ハードウェア」

株式会社Nanofiber Quantum Technologies 

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