”共振器QED系”というオリジナルのアイデアで追い上げる:青木隆朗×古田彩
だれもが量子コンピュータを使える未来はいつ訪れるのでしょうか。量子コンピュータの方式は有望なものが複数知られていますが、いずれにも乗り越えなければならないハードルがあります。そのなかで、全く新しい方式の量子コンピュータ研究に取り組むプロジェクト「ナノファイバー共振器QEDによる大規模量子ハードウェア」を率いているのが、青木隆朗プロジェクトマネージャー(以下、PM)です。自らの手でつくりだした系を発展させた、というこの方式には、圧倒的に有利な点があるのだそう。
青木PMと対談するのは、2001年に、ほとんど報道されることのなかった量子コンピュータの可能性に魅せられて以来、量子の世界の動きを国内外で追い続けている、記者で編集者の古田彩さんです。古田さんのナビゲートで青木PMの研究の世界をご案内しましょう。
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実現するとは思わなかった
古田:青木先生はどういうきっかけで量子コンピュータに興味を持たれたのでしょうか。
青木:量子コンピュータという言葉を初めて聞いたのは、大学の時だったと思います。当時、私が研究していたのは量子は量子でも物質の中で起こる量子現象で、光と物質の相互作用を見る実験をしていました。そこで扱っていたのは古典的な光だったので、次は光の量子的な性質を自分の目で見てみたい、と思うようになりました。そうこうするうち、修士課程2年目の1998年に、当時カリフォルニア工科大学にいた古澤明先生(現東京大学教授、目標6プロジェクトマネージャー)が、光を使った量子テレポーテーションに成功するという素晴らしい研究をされたことを知りました。
古田:1998年というと、第1次量子コンピュータブームのころですね。1994年に素因数分解を超高速で実行するアルゴリズムが見つかり、その翌年にイオンを使った量子ビットの実現方法が提案されて、研究が一気に盛り上がりました。
青木:はい、当時量子コンピュータはちょっとしたブームになっていて、物理を研究している人なら、どこかで話を聞いていたと思います。ですが量子コンピュータが実際に動かせる時代が来るとは、誰も思っていなかったんじゃないでしょうか。
古田:そうですね。私は量子コンピュータの理論を提唱した英オックスフォード大学のデイヴィッド・ドイチュ博士にインタビューしたことがきっかけでこの分野に興味を持ち、量子情報の歴史を追いかけているのですが、本当に量子コンピュータが作れると思っていた人は、90年代にはほとんどいなかったと思います。フランスの著名な量子物理学者セルジュ・アロシュは1996年に、「量子コンピュータ:夢か悪夢か」という有名なコラムを書いて、量子コンピュータは実現しないだろうと予測しました。
青木:正直言って私も量子コンピュータができるとは思っていませんでしたが、すごく面白そうだと思いました。ちょうど古澤先生が帰国して東京大学で研究室を立ち上げられたので会いに行き、量子情報という分野について聞きました。ぜひやってみたいと思い、幸い助手にして頂いて、それが量子情報の分野に入ったきっかけです。
原子の量子ビットを光で操作する
古田:古澤研ではどんな研究をされたのですか。
青木:光を使って多体の量子もつれを作る研究です。量子テレポーテーションは、量子もつれになった2つの光を使って粒子の量子状態を離れた場所にある別の粒子に移しますが、もし3つの光を量子もつれにできれば、3つの粒子間で量子テレポーテーションが可能になります。最終的には9本の特殊な光で量子もつれを作り、これを使って「連続変数の量子誤り訂正」の実験を行いました。実際の量子計算にそのまま使えるものではありませんが、連続変数の誤り訂正の概念を原理的に実証することができました。
ただ、そうやって光の量子性ばかり見ていると、今度は物質の量子性が恋しくなる(笑)。光の量子性と物質の量子性が共存しているところで起こる物理を研究してみたいと思うようになりました。実は私が現在研究している共振器QED系(QED:量子電気力学)というのは、まさにそういう系なのです。
古田:具体的にはどのようなものですか。
青木:共振器というのは、一言で言うと光を閉じ込める箱です。光は高速で空間を進み続けるので一カ所にとどめておくのは難しいのですが、向かい合わせになった鏡の中に入れるとその間を反射して往復し、外に出られなくなります。この共振器に光子1個を閉じ込めて中に原子を置くと、光子が原子に何度もぶつかって、両者を強く相互作用させることができます。これが共振器QED系で、原子の量子的な状態を光子との相互作用によって自在に変えられます。情報を原子の量子状態で表し、それを変化させていくことで量子計算を進めるのです。
古田:なるほど、原子の量子ビットを光子によって操作するコンピュータなんですね。
青木:その通りです。一方、これとは逆に情報を光子の量子ビットで表し、原子によって操作することも可能です。両方の方式をうまく組み合わせ、最適な設計を考えたいと思っています。
古田:原子と光子の両方を量子ビットとして使うことができるというのは面白いですね。大規模化の見通しはいかがでしょうか。
青木:1つの共振器の中に原子が100個あれば、100量子ビットの量子コンピュータになります。1,000量子ビットを共振器の中で動作させるのが、ムーンショットの2025年の私のマイルストーンです。
古田:世界で最初の量子コンピュータ実験は、イオンの量子ビットをマイクロ波で操作する「イオントラップ」方式でした。あれから30年経ちましたが、今もどんどん新たなアイデアが出ているのが面白いです。
なぜ今から新方式に挑むのか
古田:量子コンピュータというと、多くの人がIBMや理研が取り組む超伝導の量子コンピュータを思い浮かべると思います。すでに数百量子ビットのチップが実現している中、新たな方式を研究する理由は何ですか。
青木:量子コンピュータの研究は急速に進んでいますが、本当に世の中の役に立つ計算ができるようなレベルには、ほど遠いのが現実です。まず、量子ビットの数が全然足りない。最近、IBMが1,000量子ビットのチップを作ったと発表しましたが、計算中に生じるエラーを訂正しながら大規模な計算ができる誤り耐性量子コンピュータを実現するには最低100万個、場合によっては1億個もの量子ビットが必要になるとみられています。
しかし超伝導方式のチップで量子ビット数をケタ違いに大きくしていくのは、かなり難しいと思われます。多数のチップをつないで計算する分散型にする必要がありますが、それにはチップそのものだけでなく、チップ同士を接続するケーブルも極低温に冷やさないといけません。すべてを巨大な冷却装置の中に入れるか、異なる冷却装置に入れたチップどうしを冷却したケーブルで接続するか。いずれも不可能ではないけれど、非常に困難です。
古田:現時点ではトップにいるけれど、大規模化には壁があるということですね。
青木:超伝導に限らず、現在研究されているどの方式も単体で大規模化するのは難しく、分散型にする必要があると思います。その点で我々の方式は圧倒的に優位です。共振器QED系では、原子の量子ビットどうしの相互作用を光子が仲介しています。共振器の鏡に一定の透過性を持たせれば、光子は鏡の間を往復した後に外に出てきます。これを低損失の光ファイバーで次の共振器QED系に送り込むことで、それぞれの共振器QED系の中にある離れた原子どうしを相互作用させることができ、全体が1つの量子コンピュータとして機能します。またこの中のどの2つの原子も光子によって直接相互作用させられるのも大きな利点です。
古田:先生の共振器QED系は、かなりユニークでオリジナルなものだと聞いています。
青木:そうですね。最初の共振器QED系は、合わせ鏡の中に原子を通過させるものでした。先に出てきたセルジュ・アロシュ先生がマイクロ波領域の電磁波を、カリフォルニア工科大学のジェフ・キンブル先生が可視光付近の波長の光を使う共振器QEDを作って、この分野をリードしていました。私は2000年代半ばにキンブル先生のところで研究する機会を得ました。シリコンチップ上に共振器を微細加工でデバイスとして作り、光子を原子と相互作用させる実験に取り組みました。なかなか結果が出ませんでしたが、帰国の前々日、荷物をパッキングしながら研究を続ける中でついに成功し、データを得ることができました。
その後の研究で、それまでの共振器デバイスより、それをつなぐために使っていた極細の光ファイバーに直接光子を閉じこめるほうが、効率がよくなることに気づきました。さまざまな工夫を重ね、2014年に極めて低損失の、全く新しいナノファイバー共振器QED系を完成しました。
古田:そのころ、米カリフォルニア大学サンタバーバラ校のチームが超伝導で原理的に誤り訂正が可能な精度の量子ビットのチップを作り、風向きが一気に変わりましたね。それまで量子コンピュータはもの好きが研究している夢くらいに思われていましたが、現実の開発目標となりました。
青木:まさにその通りです。私も初めは物理の基礎研究をする方向で考えていましたが、ふと周りを見ると、さまざまな物理系を扱ってきた研究者たちが、それを使った量子コンピュータを開発しようと動き始めていました。それまで夢物語のように思っていた量子コンピュータへの応用を本気で考え始め、私たちの系には分散型量子計算を実現するうえで大きな強みがあると思うに至りました。
とはいえ量子コンピュータの物理系としては最後発で、しかも完全にオリジナルなアイデアです。理論的には高い精度の量子ビットが得られると予想していますが、実験はこれから。技術としてはまだまだで、原理実証から始めるところです。
古田:量子コンピュータの研究は今後、どのように進んでいくと思われますか。
青木:最終目標である「誤り耐性量子コンピュータ」が実現するまでには、まだいくつも大きな課題があり、多くのブレイクスルーが必要になってくると思います。しかし本当に世界を変えうる量子コンピュータへの道がつながりつつあると、現場の研究者として確信を持っています。
量子計算を実行する物理系は本当に多様で、それぞれの特徴も大きく異なります。最終的にどれか1つの方式が勝ち残るのではなく、お互いにいいところを生かし悪いところを補い合いながら量子計算を実行するハイブリッドシステムになる可能性が高いのではと思います。分野全体が競争しながらも協力して、息の長い研究開発を進めていけるといいなと思っています。
古田:量子コンピュータは今のところ実力に比べて期待が先行しすぎていて、今後、社会に失望される局面が来るだろうと予想しています。ですが、この分野が消えることはないだろうとも思っています。何度か冬の時代をくぐり抜けてついに大ブレイクしたAIのように、どこかで世界を変える技術になる。そのとき量子コンピュータがどんな姿になっているか、それを見届けることを楽しみにしています。
構成:古田彩
写真:盛孝大
編集:サイテック・コミュニケーションズ
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「ナノファイバー共振器QEDによる大規模量子ハードウェア」
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